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マクドナルドの歴代経営者に学ぶ戦略と意思決定【原田マジック 原田泳幸】

 

近年、マクドナルドの動きには目を見張るものがありますね!

どの社長もそれぞれの特色を活かしつつ会社を大きくしてきました。

・巨大企業まで育て上げたカリスマ社長

・巧なマーケティング力でV字回復に導いた社長

・顧客の声を最大限に聞いてマイナスからプラスに転じた社長

それぞれの社長から何を学び取れるか、この流れを見ていくなかにそれぞれから学びを得ていく、そんな記事です。今回は、外資系IT企業から異業種転職を果たし、巧みマーケティング力で2年間といった短期間で回復を果たした、原田泳幸社長の考察をしていきます。

V字回復と転落のドラマ 原田マジック

さて、藤田社長が巨大企業にまで押し上げた日本マクドナルドも、低価格戦略を推し進めた結果、正社員とアルバイトの教育は行き届かず、管理職になってもまとまな経営企画書を書けず、また、QSC(品質、サービス、清潔さ)も低下し業績が悪化したと言われています。

そのような状況から原田社長は経営を交代し、2年間でV字回復を成し遂げました。

では、そんな原田社長とはどんな人であったのか。

 

〇原田泳幸 略歴

日本の大手電子機器メーカーに入社後、HP、シュルンベルジェグループと転職を重ねAppleJapanに入社します。

これが、昭和47年から平成2年にかけての事ですから、当時、このような流れで転職を重ね自分のポジションを確立していくというのは異端児であったのかも知れないですね。

そして、Appleで頭角をあらわします。マーケティング本部長からAppleJapanの社長へ、そして6年間就任していたということですが、これは同社でも異例のこと。よほど優秀だったんですね。ちなみに、その後のAppleJapanの社長は暫定的に現AppleCEOのティムクック氏だそうです。

当時、Appleで好成績をあげていた原田社長は、業績不振の日本マクドナルドを立て直すため、米国本社からヘッドハンティングをされました。

さて、原田社長は異業種転職を果たし日本マクドナルドの社長に就任します。

そこからの急速なV字回復はめざましいですね。原田社長は毎日10kmのマラソンをもこなすスポーツマンとしても有名です。

急速にV字回復をさせた原田マジック

 

原田社長はお得意のマーケティング力により当時低迷していたマクドナルドをV字回復まで導きました。7年連続でマイナスだった売上高(既存店)は原田体制のもと一転して、8年連続のプラスとなり、最高益を上げた。これが俗にいう「原田マジック」です。

原田マジックの戦略

100円コーヒーなどの低価格商品を提供し、新規顧客を囲い込みその顧客をリピーターとする

・不採算店を閉店しコスト圧縮

・QSC(品質・サービス・清潔さ)の徹底

・作り置きをしない、メイド・フォー・ユーを導入

・客単価の向上

・24時間営業の本格化

などの改革も推し進めることになります。

外資系出身ならではのトップダウン、コスト圧縮、効率化、スピードを優先したスタイルにより7年連続既存マイナスから2年で立て直したわけです。

この能力たるや、当時の日本人では考えられない様な動きをされていたんだなと考えられます。

 

その後一転して転落へ、CEO退任

しかしながら、こうしたスピード改革にもマイナスの影響が見え始めます。

24時間営業を本格化した結果以下の様な事態が発生しました。

・来店客は100円コーヒーを飲みながら、深夜を過ごす。

・お客が食事している横で、深夜の店内清掃を開始。

・長時間労働による従業員の負担増

このような状況からブランド低下と従業員も減り続け、負のループへと追いやられます。

また、FC店のテコ入れも厳しく、FC店のオーナーからも反発の声があがり裁判などに発展します。

藤田社長のFC運用は絶妙でした。利益を求めながらも合理性もち、売上が厳しいFC店には、近隣の小型店舗を追加したり、ロイヤリティや家賃を安くするなどの施策をこうじました。また、藤田社長の頃は忙しければ忙しいほどに見返り(給料)が入った制度でした。

しかしながら、原田社長はこうした運用を継続せずに、人ではなく契約書をベースとした運用を慣行します。こうして、オーナーの長期労働、収入減といった不利益が表に出始め対立が始まってくるのです。

更には低価格商品+高付加価値商品の戦略も陰りを見せ始めます。2013年にクォーターパウンダー(単品で500円前後)が発売されます。そもそも、100円マックなどの低価格戦略を慣行し続けたマクドナルドの高額商品は一過性のものだったのか、長期の顧客ニーズを得ることができませんでした。

そして、追い打ちをかけるように2013年に、セブンイレブンが淹れたての100円コーヒー戦略を実行します。全国で5万店舗を超える店舗数ではるか上をいくコンビニへと顧客がシフトしていきます。

更に、いまだ記憶に残る、2014年の使用期限切れ鶏肉問題、2015年に相次いだ異物混入騒動。。。

こうして、様々な要因から日本マクドナルドは売上高が下がるだけでなく、営業利益も急激に下降します。

 

そして、原田社長は 2013年8月に退任します。

経営ってとても難しいですね。ここで思うのは、IT業界と同じ様な動きを見せてしまったことが、問題点であるように考えられます。

〇ポイント

IT業界は数ある業界の中でも特にスピード感が求められます。私も建築業界からIT業界に転職したので、このスピード感の違いはよく分かります。

外食産業は人と人のつながりが深く、また成熟した産業であるが故に原田社長のスピードについていけなかったのではないのでしょうか。

成熟した業界だからこそ、”人の妙”といった藤田社長の様なマネジメントが必要なんでしょう。

数字が全てという原田社長の結果は、やはり当時のマクドナルドの状況を現しています。でも、原田社長の当時の決断、チャレンジ、全てを否定してはならないかと。V字回復といった実績を果たしたことも事実です。

藤田社長と原田社長がタッグを組んだら、どの様な状況になっていたのかな?と思う今日この頃です。人、モノ、金、これらのバランスがとても大切だなと、改めてマネジメントの難しさを痛感した考察でした。

こうして、一つ一つ、学びにつなげていき向上していきます!それじゃ!

 

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