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マクドナルドの歴代経営者に学ぶ戦略と意思決定【創業者 藤田 田】

引用:NEXT SHARK

マクドナルドの歴代経営者たち

マクドナルドの経営者にはドラマがあるように思えます。

・巨大企業まで育てあげたカリスマ創業者

・巧なマーケティング力でV字回復に導いた社長

・顧客の声を最大限に聞いて

こうした社長の生き様を見て、自分に勇気をあたえ、日々のビジネス・生活に活かしていければと。それでは、先ずは創業者、藤田 田社長から!

日本マクドナルドファウンダーのカリスマ社長

藤田 田社長は、日本の創業者の中でもカリスマ社長と呼ばれ、あの孫正義さんにも影響を与えたほどの社長です。日本にファーストフードの王様マクドナルドを根付かせ、トイザらスの創業者でもあります。

その藤田社長の名言で
「私の思いどおりにやる、それが嫌なら私はやらない」

ステキな言葉です。なかなか、言えないですよね。特に日本人は。。。

その言葉がいつ発せられたかといいますと、藤田社長がビジネスのためアメリカに来訪した際にマクドナルドの創業者、レイ・クロック氏に会った時です。

300人ほどが「マクドナルドをやらせてくれ」と言ってきていたそうです。しかし、クロック氏は「彼らは商売を知らないからダメ。お前はできる」と言うんです。私は、「今日はあなたのサクセスストーリーを聞きに来たのであって、そんな話をしに来たのではない」とかわしたのですが、「お前がやれ」と。

私はとっさに、「だったら、出資比率は50%対50%でいきたい」と口に出してしまいました。

そして、次にこう付け加えたんです。「条件が1つある。米国側は命令をしないこと。アドバイスは受けるが命令は受けない。そして、日本の会社は、社長の私以下、全員日本人でやっていく。社長の私の思いどおりにやる。それが嫌なら私はやらない」と。そうしたら、クロック氏は「お前はなかなか面白い奴だ。分かった」と言ってくれました。
引用:経済界 [連載] 温故知新(第18回)経営者の名言「私の思いどおりにやる、それが嫌なら私はやらない」より

すごいです。そもそもやる気がなかった、ということはあるかも知れませんが、今でもアメリカ本社のいいななりになるケースは多いと思います。それを、こうした強い意志をもって交渉し日本主導でここまで導きました。御年45歳、いやーすごいですね!

・資本金は米マクドナルドと日本マクドナルドで50対50

・アメリカの命令は受けない

・利益はアメリカに渡さず日本内で再投資

そして、いよいよと、日本マクドナルドは創業します。1972年、銀座を1号店としてオープン。当時、アメリカ本社からはアメリカ同様に郊外に出店するようにと指示があったが、当時の情報発信の中心地、銀座に出店することで商売は儲かる!との理念のもと、その申しつけを蹴って銀座店を出店しました。

当時、客面積も狭く単価も高額でしたが、藤田社長の読み通り業績はあがり、全国各地に出店するまでとなりました。

1995年に210円だったハンバーガを130円まで値下げを実施、これが業界の価格破壊となり各社こぞって値段を下げる流れになります。
影響力MAXです!

藤田社長と孫正義

藤田社長と孫正義さんのエピソードも興味深いですね。

藤田社長は、書籍も数多く出していましてその中でも1972年に出版した世界経済を動かす ユダヤの商法』はベストセラーともなり、経営者のバイブルともなりベストセラーとなりました。この本に影響を受けた一人が、当時高校1年生の孫さんです。

ユダヤの商法―世界経済を動かす (ワニの本 197)絶版本で現在10,000円以上で取引されています。

え?高校1年生でこんな本読むの?ありえん!

とまぁ、思うわけでして、そのポイントもすごいんです。

孫さん視点『ユダヤの商法』のポイント

Point1:マクドナルドと創業者レイ・クロックがいかに優れているかを知っ

昭和40年代後半(1970年代) 当時の小売店や飲食業は独立した店舗がそれぞれの町にあっただけでした。そんな時代において、マクドナルドの経営戦略をこの本で知り興味を持つ。

Point2:ノウハウは金になる

日本では、ノウハウは『タダ』と思われがちだが、経営ノウハウは権利でありお金をもらう対象である。と書かれているのを見て、『なるほど』となっとする。

Point3:これらのノウハウは全てレイ・ロック氏から教わった

これらのノウハウは全てレイ・ロック氏から教わり、レイ・ロック氏とどの様な人であったのか?と想像した。

その後、16才の歳に日本の高校を中退してアメリカに留学にいきます。そして、夏休みになり日本に帰ってきた孫さんは、藤田社長に会いたくなって居ても立っても居られなくなり、面会のアポをとり始めます。その数なんと、、、

10日間×5回=50回 と言われています。しかも毎日、もはや迷惑電話レベル(笑)

しかし、ここで終わらないのが孫さんのすごいところ。ここまで電話しても拍手もんですが、更にこのままでは、らちがあかず(当時の長距離電話は高額)ということで、『直接会いに行ってやろう!』とアポイントを取らず佐賀飛行機に乗り、羽田空港まででやってきて、秘書室に電話して交渉しました。この交渉内容がすごい!(笑)

「私は藤田さんの本を読んで感激しました。ぜひ、一度、お目にかかりたい。しかし、藤田さんがお忙しいことは重々、承知しています。顔を見るだけでいいんです。3分間、社長室の中へ入れてくれればそれでいい。私はそばに立って、藤田さんの顔を眺めています。目も合わさない、話もしないということなら藤田さんのお邪魔にはならないんじゃないでしょうか……」
引用:プレジデントオンライン 柳井正VS孫正義 特別対談「起業は50代からがいい!」より

そして更にこう問いかけます。

秘書の方に言いました。私が話した通りのメモを作って、それを藤田さんに渡してくれないか、と。そのメモを見て、それでも藤田さんが「会う時間はない」と言うのなら、私は帰ります。ただし、秘書のあなたが判断しないでください、と。

それで先ほど言った内容をメモしてもらい、電話口で読み上げてもらって、てにをはの間違いを直して(笑)。そうしたら、よし、15分だけ会おうということになったんです。
引用:プレジデントオンライン 柳井正VS孫正義 特別対談「起業は50代からがいい!」より

すげー!面会を勝ち取りました!!

そして、面会の席で孫さんがこれから何を勉強したらよいですか?との問いの返された言葉が
『コンピュータを勉強しろ、これからはコンピュータビジネスの時代だ。オレがおまえの年齢だったら、コンピュータをやる』

だったそうです。

こうして、孫さんの今があるわけですね。この話には更に続きがあります。

成功した孫さんが再び、藤田社長に面会に行きます。あの時の高校生が!と喜ばれたのか300台のコンピュータを注文してくれました。これはあまりにも有名なエピソードですね。

藤田社長の一言がきっかけで、今の孫さんがいるのかも知れません。

さいごに

しかし、1992~2003年には、ハンバーガーの低価格路線で積極的な値引き戦略を展開し店舗数も4,000店舗近くまで増加ました。しかしながら、行き過ぎた値下げでブランド価値を下げてしまい、急速な店舗拡大によるユーザの奪い合いなどが原因で、2002年には、創業以来29年ぶりに赤字となってしまいました。

2003年にマクドナルドCEOを退任し、原田社長と交代します。そして、2004年4月 心不全(享年78歳)でこの世を去りました。激動の中に生きた藤田 田社長ですが、孫さんを始め、そのDNAは今も引き継がれています。

藤田 田社長のDNAを引継いだ男たち

・コメダコーヒー店社長 臼井興胤

・ファーストキッチン社長(兼ウェンディーズ・ジャパン社長)
紫関 修

・バーガーキング・ジャパン社長 村尾 泰幸

・珈琲館(元モスダイニング社長) 友成 勇樹

・すきや本部元社長 興津 龍太郎

上記の方々以外にも、影響をうけた経営者は多数いらっしゃるのではないかと思われます。

カッコいい生き方ですね!強い意志と優秀・豪快な戦略、そしてユーモアまで兼ね備える、こういった方から学ばせていただき、この激動の世の中を駆け抜けていきます!!

それじゃ!

幻の名著、藤田社長の戦略論『ユダヤの商法』が新装版で復活しました!

時代の社長、原田泳幸社長の物語はこちら!

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